主が養ってくださる



イエスの生涯における最大の奇跡、その規模と公衆の場で行われたという点から考えると、それはパンの奇跡と言えるでしょう。マタイによれば、洗礼者ヨハネの死の報告を受けた後、「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた」とつながります。つまり、洗礼者ヨハネの死をきっかけに弟子たちの訓練に専念しはじめた矢先に起こったのが、5千人の給食と言われるパンの奇跡です。この奇跡は、イエスの公生涯が始まってから三度目の過越祭の時期に行われたものですが、ここからイエスの公生涯の最後の年が始まります。この奇跡から一年後の過越祭に、イエスはエルサレムで十字架にかけらるのです。
さらにこの奇跡が重要な点は、この奇跡が四福音書のすべてに記されている唯一の奇跡であることからもわかります。この奇跡は、イエスの後を追ってきた男だけで5千人、女と子どもを含めれば、少なくともその倍以上の群衆の空腹を満たすものでしたが、ここでも主な目的は弟子たちの訓練であったと考えることができます。実際、弟子たちにとって、どうしてもこれだけは後世の教会に伝えておかなければならないと彼らに思わせる出来事だったのです。
考えてみてください。キリストの死と復活を通して誕生した教会は、短期間に急成長を遂げました。使徒言行録の記録です。
2章41節、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に3千人ほどが仲間に加わった。」
4章4節、「しかし、二人の語った言葉を信じた人は多く、男の数が5千人ほどになった。」
5章14節、「そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」
6章7節、「神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」
この事態は、漁師上がりの弟子たちにとって、とても手に負えないものではありませんでした。そんな時、弟子たちはこの奇跡を思い起こしたのではないでしょうか。「そうだ、きっと主が養ってくださる。」「そうだ、主が不可能を可能としてくださる。」彼らは信仰を強くし、大きな力と励ましを、この奇跡から受けたのです。ですから、私たちも、私たちには大き過ぎる、とても手に負えないと感じる問題に直面したとしても、主に期待したいのです。

写真はガリラヤ湖畔にあるパンと魚の増加の教会(Church of the Multiplication of the Loaves and Fishes)。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

神殿崩壊の日



ユダヤ暦では昨日が神殿崩壊の日(Tisha B'Av)にあたっていました。伝承によれば、紀元前586年のこの日にバビロンによってエルサレムの神殿が破壊され、その後建てられた第二神殿も紀元70年のこの日にローマによって破壊されたとされています。これは民族最大の悲劇の日と見なされて、ずっと記憶されてきました。いわば、敗戦記念日です。そこで第二神殿崩壊後、ユダヤの賢者たちは、神殿が崩壊した理由を徹底的に究明し、次のような結論に至りました。「神殿が崩壊したのは、ローマの軍事力の強大さによるのではなく、我々が個人主義を優先し、自分たちの間で理由のない憎しみ合いをくり返していたからだ」と。彼らは、更にどうすれば神殿を再建することができるかということも考えました。「かつての神殿が『理由のない憎しみ』のゆえに崩壊したのであるなら、新しい神殿は『理由のない愛』『無条件の愛』によって再建されるのではないか」と。
昨日の礼拝で、6月から一般社団法人としての活動を開始したホロコースト記念館の働きについて説明と支援のお願いをしました。働きが祝されるように、できる限りの協力をさせていただきたいと思います。ホロコースト記念館には青少年たちによるスモールハンズというグループがありますが、そのキャッチフレーズはこうです。「平和をつくり出そう。小さな手で」。私たちにできることは、小さなことで、大麦のパンをささげるようなことかもしれませんが、無条件の愛によって、平和をつくり出すためのお手伝いができれば幸いです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

天を仰いで

礼拝メッセージ 「天を仰いで」
聖書 マタイによる福音書14の13〜21
マタイによる福音書シリーズ(52)

14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

ある兵士の祈り




成功を収めるために 神に力を願ったのに
弱くなってしまった 謙遜を学ぶように
偉大な事をするために 神に健康を願ったのに
病気になってしまった 神の心に叶うように
私の願いは何一つ 叶えられなかったけれど
希望した全てのことを 私は受けた

幸せになるために 神に富を願ったのに
貧しくなってしまった 生きる厳しさ知る様に
弱い人を助けるために 権威を願ったのに
無力になってしまった 神に頼ることを学ぶ様に
神は私に必要な事 何もかも知っておられる
希望した全てのことを 私は受けた

人に尊敬されるために 神に手柄を願ったのに
ただ失敗に終わった 思い上がらない様に
聖なる人になるために 神に徳を願ったのに
罪の醜さに泣いた 神の愛の深さ悟るために
私の姿は変わらない 弱く何も出来ないけれど
喜びに満ち溢れて 私は歌う
---古木涼子作・クレド(弱いものの信仰告白)
原詩・ある兵士の祈り(A Creed For Those Who Have Suffered)


以前、渡辺和子先生の本で、初めてこの祈りを知り、とても感動しました。この祈りは南北戦争で廃疾となった無名の南軍兵士が病院に書きつけて残したものと言われ、現在ニューヨークの34番街にある物理療法リハビリテーション研究所の壁に掲げられているそうです。明日から、聖歌隊でこの曲に取り組みます。深い信仰に導かれますように。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

変わっていける



昨日の祈祷会で紹介した小澤征爾さんと村上春樹さんの対談集から。喜寿を迎えた小澤さんの言葉。

「僕くらいの歳になってもね、やはり変わるんです。それもね、実際の経験を通して変わって行きます。それがひょっとしたら、指揮者という職業のひとつの特徴かもしれないね。つまり現場で変化を遂げていく。僕らはね、オーケストラに実際に音を出してもらわないと話にならないんです。僕が楽譜を読んで、頭の中に音楽をひとつこしらえて、それをオーケストラの人たちと一緒に実際の音にしていくわけだけど、そこで生じるものがいろいろあります。人間と人間の現実的な関係もあれば、その音楽のどこに重点を置けばいいか、というような音楽的な判断もあります。長いフレーズをとって音楽を眺めるときもあれば、逆に短いフレーズに深く拘泥するときもあります。そんないくつもの作業のどこに重点を持っていけばいいか、そういう見きわめもしなくっちゃならない。そういうあれこれの体験を通して、僕らは変わっていきます。」

この夏も私たちは変わっていけるはずだ。体験を通して、もっともっと。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

叫び続けた

今週の祈祷会も、全国中高生大会のメッセージに取り組みます。御言葉はルカによる福音書の18章から。

18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。
18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。
18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、
18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。
18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。
19:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。
18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

こういうことはありませんか。私たちが熱心になればなるほど、外と内からこういう声が聞こえてくる。「ちょっと頑張りすぎ。」「そんなに頑張らなくてもいい。」「熱くなり過ぎだよ・・・。」しかし、盲人はそんな声をよそに叫び続けたのです。この夏、私たちもキリストに集中し、何か起こるまで祈り続け、求め続け、叫び続けましょう。PUSH!

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

HE>i



マタイをはじめ、他の福音記者たちも、折に触れて洗礼者ヨハネの生涯を記録してきました。「女から生まれた者のうち、彼よりも偉大な者は現れなかった」と言われた洗礼者ヨハネは、奇抜な出で立ちで現れ、獅子が吠えるような迫力のあるメッセージで、人々を悔い改めへと導きました。彼の働きは、社会現象を起こすほどの、鮮烈な印象と影響力を与えたのです。しかし、彼自身は「荒れ野で叫ぶ者の声」に徹した人でした。彼の心は、彼の目は、彼の言葉は、いつもキリストに集中していました。そして、彼の働きの偉大さは、私たちの心を、私たちの目を、私たちの耳を、キリストに向かわせたことなのです。
彼の言葉です。「わたしは、悔い改めに導くために、あなたがたに水でバプテスマを授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。」そして、いよいよ満を持してキリストが現れた時、彼はだれよりも速く、そして的確に、キリストをこの世界に指し示したのです。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。やがて自分の弟子たちが、そして群衆が、イエスのもとへと集まって行った時、ヨハネを慕う弟子たちが嘆きながら言います。「あなたが証しされたあの人が、バプテスマを授けています。みんながあの人の方へ行っています。」するとヨハネはこう言うのです。「あの方は栄え、私は衰えなければならない。」 He must become greater; I must become less. John3:30

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

サロメ



洗礼者ヨハネの殉教の物語は、絵画や小説、音楽の題材に好んで使われるよく知られたストーリーです。
イエスの評判を聞いた領主ヘロデは、自分が殺害した洗礼者ヨハネが生き返ったのではないかと心配したと聖書に書かれていますが、彼が洗礼者ヨハネを殺害した次第はこうです。ヘロデは異母兄弟ヘロデ・フィリポの妻ヘロディアをみそめます。このヘロディアという女性はヘロデ大王の孫娘であったので、夫のフィリポも、そしてアンティパスも、彼女の叔父にあたります。アンティパスは、妻であった女性と離婚し、自分の兄弟フィリポからヘロデヤを奪い取って妻としました。洗礼者ヨハネは、彼の行為を罪として厳しく非難します。離婚ばかりでなく、兄弟の妻と再婚することも律法で禁じられていたからです。ヘロディアは気性の激しい女性で、ヘロデにヨハネの処刑を要求しますが、ヘロデはヨハネを預言者と信じている民衆を恐れ、死海の東にあるマケラスの砦に幽閉しました。しかし、あることがきっかけで、事態は急展開します。ヘロデの誕生日の祝いの席で、ヘロディアの連れ子であったサロメが参列者の前で踊りを披露し、ヘロデを喜ばせました(サロメの名前は歴史家ヨセフスによる)。そして、ヘロデは愚かにもサロメの願うものは何でも与えると約束してしまうのです。何を願っていいかわからないサロメは、母のヘロデヤに相談し、その入れ知恵によって、なんとヨハネの首を要求したのです。アンビリーバブルです。
洗礼者ヨハネがメシアの先駆者として活動したのは、約3年間でしたが、彼はその半分以上を牢獄で過ごしています。さらにヨハネの最期はこのように悲惨でした。せめてもの慰めは、弟子たちが彼の遺体を引き取り手厚く葬っていることです。弟子たちは、ヨハネを葬った後、イエスのところに来て、事の次第を報告しました。ここに偉大なメシアの先駆者、洗礼者ヨハネの生涯は幕を閉じられました。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

28時間45分



こんな話を読みました。ゾーエ・コブロウィッツさんは、2007年11月5日、ニューヨークシティマラソンを完走しました。優勝タイム(男性が2時間9分4秒、女性が2時間23分)と比べると、ずいぶん遅いゴールでした。彼女のタイムは、28時間45分。30年前に、彼女は多発性硬化症と診断されていました。彼女が最初にニューヨークシティマラソンを走ったのは1988年のことで、その時の記録は20時間を切っていました。それ以来彼女は、ロンドン、ボストンでも走り、20回以上もフルマラソンに参加していました。
その年、彼女は背中と膝に添え木を当てて、紫色の杖をついて同伴者と共に全行程を歩きました。レース終了後、彼女はこうコメントしています。「ゴールには入れただけで本当に嬉しいです。若返ることも、この病気が良くなることもないのですから。」
ある記者はこのように書きました。「優秀なランナーたちが彼女を抜いて行った時も、彼女は歩き続けた。そして、最終ランナーが彼女を抜いて行った時も、彼女は歩き続けた。黙々と前だけを向いて。」ニューヨーク市の多発性硬化症協会の幹部の方の談話です。「彼女は(自分の病状を正しく理解し受け止めています。しかし)、多発性硬化症によって束縛されることを拒絶したのです。彼女こそ、本物のチャンピオンだと思います」と。

もう無理だよ、これで終わりだよと告げるような出来事が、私たちを取り囲んでいるとしても、その現状は無視できなくても、そういう言葉や空気に支配され、束縛される必要はありません。現状を一瞥したら、次の瞬間、その問題よりも大いなる御方に信仰のフォーカスを向け、そこに集中すればよいのです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

キリストに集中する

礼拝メッセージ 「キリストに集中する」
聖書 マタイによる福音書14の1〜12
マタイによる福音書シリーズ(51)

14:1 そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、
14:2 侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」
14:3 実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。
14:4 それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。
14:5 ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。
14:6 たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。
14:7 それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。
14:8 ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
14:9 王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。
14:10 彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
14:11 そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
14:12 それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.